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宗門と僧堂と檀信徒

 私は前々から宗門と僧堂と檀信徒に言いたかった一家言があります。それは一言で言えば宗門には今は何の魅力もなし。これは時に言っていることですが。僧堂生活に社会的御利益はなし。檀信徒はもういらないです。それはつまり宗派という組織の終焉を意味します。宗務庁や宗門大学や僧堂の宗派的役割は終わっているということです。宗務庁や宗門大学にはもう優秀な人材は集まりません。僧堂に安居(修行)してもその後の人生の糧になることはほとんどないと思います。そして檀信徒もろくなのがいません。これでは終わっています。さらにそれを食い物にしているコンサルタントや企業も詐欺的でまったく成果を上げていません。なぜ宗門がダメなのか。それは身を斬る改革をできる人がひとりもいないこと。捨て身の人がいないということです。名誉欲だけです。実力も備えてはいません。これでは実行力や破壊力は持てません。群れることが好きで呑みにケーションだけでは意味はありません。建設的な議論を聞いたことはありません。

 次に僧堂生活です。僧堂は今でも前近代的です。ほぼほぼ無給で無休です。睡眠時間もあまりにも少な過ぎます。時にはぶん殴られてます。完全なるブラックです。これでは人は育ちません。精神的肉体的にもおかしくなります。実際に人格的変質者はいます。私は永平寺に3年2ヶ月の修行期間でした。ほぼほぼ外出もなく。疲れ切った精神と肉体の回復には3年半はかかったと思います。そのために大事な二十代を棒に振ることになります。また勉強をする時間もないため脳も退化します。私の周辺や知人でも体調を崩したり早死にしている人は案外と多いです。よく一年の修行期間で体調が戻るのに一年、三年で三年、五年で五年とか言われています。あまりにももったいないことです。これでは人は育ちません。また洗脳をされてしまうため実社会との適応力が身につきません。今後は益々、社会との乖離によって宗門や寺院社会は衰退します。そして宗派内でウロウロしているだけなので視野は狭いです。発想の転換はまったくできません。これが宗門が今抱えている最大の問題点です。黒船は一向に来ません。来ても気付けないのです。これが現実です。次に檀信徒です。これがまたまったく期待できません。退職後の無職で無能な老人たちが役員をしているだけです。保守的で実行力はありません。さらに貧乏人です。これでは今の若い人たちは逃げます。幻滅します。僧侶になろうなどとは思いません。

 私は極力、Z世代と仕事をしたり出かけたりしています。そして情報交換もです。それもスタートアップの人たちです。動画の視聴もです。今の若い僧侶は実体調査によると義務感、つまり仕方なく僧侶になっている人がほとんどのようです。やる気はありません。これは大人たちの責任です。檀信徒にも問題があります。早急に檀家制度はやめるべきです。僧堂の根本的改革は必須です。それには宗門が変わらない限り無理です。集団指導体制をやめて自己責任でもってやらせてみるのも一案です。一度、淘汰を覚悟で自由にやらせてみることです。そこで覚醒をさせるしかもはや術(すべ)はありません。宗門の実体経済は日増しに悪化しております。もはや建て直しは不可能のところまで進んでいます。私は再三、解派的出直しをせよと言っております。祖院の二度にわたる災害でも気付かないのでしょうか。独立採算の時代です。それができないと崩壊とか離脱になります。宿坊とかしても民間企業には勝てません。所詮は武士の商法です。武士は食わねど高楊枝 の気概が欲しいものです。檀信徒はもっと賢くなってもらいたいものです。私にとっては何の役にも立たない人たちでした。もっと冷静になって判断ができなのかと思います。これだけ私から言われれば少しは考えてくれる人も出るかもと。あえて一家言を申し上げました。失礼千万を顧みずに赤裸々に言わせてもらいました。最後までのお付き合いをありがとうございました。願わくは愛する宗門の復活を切に願うものであります。合掌

令和6年3月13日

見性院住職