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人間関係とは使い捨てのことである

人間関係とは使い捨てのことである。今年はすべてを捨てる。すべてをあきらめる。すべてを遠慮してみる。にしました。かつて大橋巨泉は後輩の小倉智昭にフリーアナウンサー、タレントは使い捨てである。だから副業をもて。副収入を考えろと言ったそうです。そのために飲食店を経営しているとのことです。今の時代はなおさらです。終身雇用の時代はとっくに終わりました。誰も助けてはくれません。当たり前です。自分の人生を自分で切り拓かなくて生きる意味がどこにあるのでしょうか。ぶら下がりの人生など最低ですしつまらないです。この一瞬にかけて生きることが私の哲学です。面白そうなことしかしないし考えたくはありません。ましてや後半の人生はできるだけ毎日が好きなことをして過ごしたいものです。
おかげさまで仕事はひっきりなしです。すべてが回っております。そのために私はアンチ(反抗的)、ぼっち(ひとり)、ピンチを頓知(とんち)で生きています。頓知はその場の機転を効かせる知恵のことを言うのでしょうが私の頓知はその時の気分で生きることです。朝のお勤めやトレーニング後にお茶を飲みながら今日は何をしようかなと考えます。朝日を浴びながら。したいことだけに絞ります。まことに自由人です。だからできるだけ予定は入れません。人とは約束はしません。孤を生きて個の幸福を追求しています。己を究明して古を探求しています。つまり人間とは孤独をいかに生きるかです。個人の幸福をどのように追求していくのか。自己を究めて本来の自己にいかに目覚めるか。古典を探求していかに哲学的な人生を送れるかだけのことです。
今年からは親族の冠婚葬祭や法事の付き合いももうやめようかと思っております。母の三回忌も終わりまもなく師父の十七回忌と実弟の三十三回忌となります。これも私は気の合う僧侶仲間たちとだけで行います。それがもっとも楽しいし有意義です。費用や時間はまったくかけません。さらっと終わりにしてあとは勉強会をして終わりです。これが終わればもうお付き合いもなしにして拘束からは離れるつもりです。同期会もすべて終わりにします。組合も必要ありません。一旦は死んだことにします。それから蘇って新しい人生を生きていくつもりです。完全リセットです。やりたかったことのほとんどは達成しております。いつ終わっても悔いはなしの人生は得ております。なすがままなされるがままの人生を得ることができました。仏教では如意ということばがあります。意のまま、思うがままに。孔子の言う己の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えずの心境です。思い通りの人生が描けております。すべては思惑通りです。なるようになっております。してきたように果たせております。人生はまことにもって正直そのものです。厄介な人間関係はどんどん捨てて仕舞えばよいのです。私は年々歳々 よき人との出逢いに恵まれすぎております。生活力も経済力も人脈も高度化しております。それもこれも自由自在に生きているからだと思います。これまで誹謗中傷の嵐を浴びてきましたが何も関係はなかったです。人間は所詮はひとり、他人は関係ありません。放っておけばよいのです。いずれ死にます。さようならです。
釈迦は天上天下唯我独尊と言いました。犀の角のようにただひとり歩めと。その通りでした。開祖道元は一箇半箇と言いました。ひとりひとりであると。只管打坐、ただ座れと。ひとりを知るために。仏道を習うとは自己を習うなり、と。親鸞は弥陀の本願は親鸞ひとりのために説くなりと。弟子ももった覚えはないし父母のために念仏を一遍も唱えじと。すべては我がひとりのためであると。これこそが仏教です。出家です。僧です。本来は教団などなくてもよいのです。僧はひとりで生きていく人のことです。世捨て人です。出世間です。脱俗世です。世間に背を向けてこそ菩薩行です。大衆迎合主義からの脱却です。封建的慣習からの決別です。私は退路を断ちました。
派閥をぶっ壊した岸田さんあっぱれです。自民党をぶっ壊すと豪語して総裁選を戦った小泉純一郎は立派でした。東京から日本を変えると言って都知事選で大勝利をした石原慎太郎は男前です。これが男というものです。この地域は男気のあるものなどいやしません。情けないと言ったらありゃしない。けちけちして潔しもなし。宗門にもまったくと言ってよいほど人はいません。女々しい連中です。昭和的おじさんおばさんは捨てることです。後退人間は交代世代です。私は見切りをつけました。見捨てることにしました。見限ることにしました。さようなら。万歳。そして、合掌

令和6年1月30日
見性院住職