今、なぜお寺は人気がないのか

今、なぜお寺には人が来ないのか。お坊さんの成り手がいないのでしょうか。それは法要と法話が退屈だからです。組織や人間関係が窮屈だからです。お坊さん自体が偏屈な人が多いからです。この三苦痛(3K)によって寺院社会は衰退しております。私がお坊さんとの付き合いをしないのはこの法要や法話会に駆り出されることが嫌いだからです。そして無意味なことをしたくないからです。無駄な時間を過ごして人生を後悔したくないことが理由です。組織や人間関係が窮屈というのは身動きが取れずに自由性がないことがあります。
かの伊藤忠商事の岡藤正弘会長兼CEOはこんなことを言ってました。私が名経営者として尊敬しているお一人です。岡藤さん曰く、連帯責任は無責任である。と。合議制は私も反対の立場です。何のための最高責任者かです。最後はトップの判断と覚悟しかありません。その突破力でもって突き進んでいかなかったら再生などできません。その意味ではオーナー企業の代表の方が適していることもあります。岡藤さんは誰かが一人でもって後継者を選ばないと結果責任を問われないと。ビジネスは威圧感も時に大事。日本人の謙虚さは美徳と言われるけれども国際社会では堂々として渡り合わないと負けてしまう。あまりにも自己評価を謙遜したりしていると自信喪失をして国際社会の中では埋没しかねないと論じておりました。言い得て妙です。私は同感です。
今、日本の各界で必要なのは強いリーダーです。USスチールの買収に意欲的な日本製鐵の橋本英二会長兼CEOはなかなかの大物かと思います。何処となく勇ましく自信も漲っています。有言実行的で決して米国に対しても臆することなく直言をしていました。これぞ指導者という風格も持ち合わせていたと思います。高額医療費の自己負担額の引き上げを見送った石破茂首相とは対照的です。今の日本の首相には石原慎太郎型か小泉純一郎型かどちらかのタイプでなかったらリーダーシップは発揮できません。米国はトランプ大統領が再戦を果たしてその才能を早くも如何なく発揮しております。これぞ大統領制だなと思います。今の時代であるなら大統領制の方が完全に有利です。トップダウンで物事が迅速に決まっていきます。見ていても気持ちがよいものです。時に周囲を圧倒して見せます。なかなか決められない日本政治など見ていられません。
翻って我が宗門を見渡せばリーダー不在の無能集団です。剛腕もいないし天才も秀才もいません。気迫も気概もありません。さらに言えば徳のある高僧的な師家や禅僧もいません。不毛な議論しかできない人たちです。これから寺院は多く見積もっても三分の一にしないといけません。かつて隆盛を誇った大祈祷寺院も今は最盛期の十分の一以下の収入しかないと言われています。早晩ほとんどの寺院もそうなります。そのためには本山や本部も三分の一の規模にして行く必要はあります。曹洞宗宗務庁の職員数も三分の一にできると思います。教化部や伝道部はなくしていってもよいと思います。教学部、総務部、財政部だけでも回せます。現在、大本山総持寺は役寮が20名、修行僧が40名ほどかと。かつて150名ほどいたようです。大本山永平寺もいずれは修行僧が50人になると言われております。私は各種行持はもういらない。授戒会、接心、眼蔵会、講式などをやめるべきという考えです。そもそも本山や地方僧堂に安居修行をしてもその後の人生の実学や実益になることはほぼありません。これから僧侶になる人など激減するしそれで生活は成り立ちません。本当に優秀な人がなることはありえません。むしろ自信のない人が選択肢のない中で仕方なくなっているだけです。宗門大学しか行けない人が入っているだけのことです。その中から優秀な人材が現れることはありえません。とにかく本山、本部がお荷物にならないように最低限度の機能に持って行くことです。その上で自分たちはどうしたらよいかを考えるべきです。
これからは宗門と切り離しながら自己実現とか個人の自営寺院をどう構築していくかとかそういう時代になります。檀家にも依存できません。誰にも頼らないで生きていく時代です。葬式も法事も宿坊も祈祷も御詠歌も坐禅会も何もかもすべてが廃れます。頼れるのは自分だけ、そんな時代です。ただ魅力的な自分がいてくれれば人生も生活も自由自在にどうにでもなります。個人で生きていく時です。群れてきた宗門は終わります。個人で勝負するだけです。まさに自己責任が問われます。まったくもってとても面白い時代になります。
私はいつもワクワクドキドキしております。いまがもっとも楽しいし快適です。それは自己実現ができているからです。そしていつも夢に向かって走り続けております。キーワードは脱宗門、離檀家制、超自立です。これができた人からこの体たらくから抜け出せます。宗門とともに忘却の彼方に消え失せていく人とそうでない人とで明暗が分かれてきます。今年がその初年です。檀信徒に役員などさせてはいけません。同業者にも檀信徒にも意見を言わせないように傍若無人に振る舞うことです。岡藤正弘氏や橋本英二氏のようにしていればよいです。私もなんか文句あっかという素振りで堂々としております。切り捨ててもよいのです。宗務所や教区などなくても生きてはいけます。檀信徒が何人、何十人、何百人といなくなったところで生きてはいけらい、でよいのです。実際に何も怖いものなどないし何も心配などしておりません。人生はどうにでもなるものです。高齢者の戯言など雑音でしかありません。是非ともこの好機に難関を突破して新しい時代をつくりませんか。来週には当院にはツインタワーがお目見えします。どんなもんじゃいと言いたいところです。是非とも見学に来てください。自信作です。まだまだやります。ご期待ください。
令和7年3月8日
見性院住職