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59回目の誕生日を迎えて

今日で59歳となりました。あまり嬉しくはない一面とこれから50代最後の一年を思いっきりやってやろうではないかという意気込みと交錯しての一日を過ごしました。今日はたまたま午前10時から恩人と言える人の回忌法要があり家族と有意義な一時を過ごせました。もっとも厳しい辛い時代にともに闘ってくれて励まし続けてくれた人でした。法話中に少し感極まってしまう一幕もありました。樹木葬墓地も成約となりました。昨日は入寺のための面接試験がありました。旧帝大出身者でした。科学者であり技術者でもあります。理化学研究所員であったので折り紙付きです。またそれでいて法律や会計の有資格者でした。本日早速に内定通知を発送しました。しっかりと準備をしていけばお寺でも捨てたものでもないのかなとも思いました。まだこれからどうなるかはわかりませんが捨てる神あれば拾う神あり。私の予感は的中しております。読み通りにはなっております。今日は妻子はLAの禅宗寺の人たちと会食を楽しんだようです。よきプレゼントをいただいたと思います。この場を借りて関係各位に厚く御礼を申し上げます。振り返って激動ではあったと思いますが次に繋がるよき人生だったと思います。一応は自己満足はしております。第二の人生はさらに人生逆転の大勝負をしてみたいと思います。結局は人生は自業自得であり自己責任であり自己実現でしかありません。人や組織に支配されるのではなくむしろ自分の世界に引き摺り込むことです。特に後半の人生は前半の人生の結果そのものです。責任は自分にあります。身から出た錆であり自分の蒔いた種を拾っているに過ぎません。そしてこの人生100年時代をどう生きるのか。これの模範例をつくることが私の次の人生の目的です。本当に時の過ぎるのは早く人に遠慮をしている時間などないと思います。思ったら即実行でよいと思います。時は待ってくれません。やりながら考えても遅くはありません。私は常に行動をしてきました。これが勝因だとも思っております。軌道修正や微調整は後からでもできます。タイミングを間違えてしまうことの方が恐ろしいと思います。そしてしがらみからは解放されました。両親の傘下からは逃れることができました。檀信徒に頼ることも何もなくなりました。宗門を気にすることも一切ありません。まったくもって自由人にはなりました。将来的には二拠点、三拠点の生活です。一箇所の定住は刺激はないしつまらないです。自分自身が磨かれません。常に洗練されて新鮮な毎日を送りたいものです。それと人間関係も面倒臭いです。都会と田舎と海外とに振り分けられたらと思います。あとはなりたい自分になるだけです。そして新しい時代や常識、社会をつくることです。世界で勝てる日本をつくることです。そのために何をすべきか。それがテーマです。具体的なことはまだ心中に留めておきますがまだまだ世間をあっと言わせることはしますし仕掛けます。まだまだこんなもんではない。と。寺院運営としては資金に目処がたてば無人カフェと会食室(蕎麦懐石等)、ミーティングルームカフェとスポーツジム室が欲しいです。イメージはできて来ております。いずれにしてもこれからが本番であることを宣言して本日の決意表明とさせていただきます。お付き合いのほどありがとうございました。

合掌  令和6年8月26日 見性院住職

追伸 私は時に曹洞宗過激派とも言われます。ことばにトゲがあるしきついことを確かに言い続けております。しかしそれでないと届きません。刺さりません。志しのある心ある次世代の人たちに届けばよいと考えております。たとえ一人にでも。世の中はそういう一人によって変えられていきます。多数決の民主主義でも一人の人の行動から時代はつくられます。

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