令和七年 新年のご挨拶(時は金なり)
新年あけましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。今年の干支「乙巳(きのとみ)」は長年の努力が報われて成熟していく時とありました。人生は前半は準備段階、後半は結果というのが私の持論です。
桑田真澄氏がある時にこんなことを言ってました。プロの世界は不平等です。監督やコーチから言われてやっているようでは終わってます。来年はまた新人が入ってきます。本人次第です。プロなんですから。代わりはいくらでもいるものです。あたりまえです。と。私も職員にあれこれもう言いません。言ってません。言われてやるようでは大人ではありません。それとやらないといけないことは誰でもわかっています。それをやるかやらないかだけのことです。ほとんどの人間は怠慢です。そういう意志の弱い人は篩にかけられていけばよいのです。世話を焼かせる人があまりに多かったことには呆れています。今は自分たちで考えてやってくれるのでとても助かります。漸く大人の職場、まともな人たちになってきたのかもしれません。
中高年とはわかりやすくその人の今を見ればその人の人生がわかる、その人の人生そのものです。自分の成績表をぶら下げて生きているようなものです。どんなに繕っても所詮は程度が知れています。だから私はもう自分の好きなようにしているだけです。自らの価値観を構築して達観しているので人と群れることはありません。すべてのことを自由自在にこなしているだけです。己の欲するところに従って生きているだけで世間や人の目を気にして生きることはありません。我が道にしか興味はなくただ淡々としているだけです。自らの生き方を確立しているために迷いはなくどうにでもなると思っています。振られることもありません。柳に風、暖簾に腕押しで生きているだけです。今年は特に還暦を迎えるため一層、ひとは関係なくなると思います。
人生の達人とは時は金なりで生きている人のことです。時間を有意義に使えるひとはお金も有意義に遣えるものです。時間を稼げる人ほどお金も稼げます。時間とお金はある意味で同じです。時間を無駄にしているひとはお金も無駄遣いをしているものです。それがその人の人的価値であり魅力です。だから私は一人の時間を大切にして人とは群れずに自分の価値観だけで生きています。人生で困ることは何もありません。ただ毎日のルーティンをこなしているだけです。夜中に悩みで寝られないことなどまったくありません。人間関係の悩みもなく無駄な人間は排除しているだけです。それでも引くて数多でモテまくっています。私と会いたいひとはいくらでもいます。よき人生なのかもしれません。だからみなさんも何も心配をしないで生きてください。人生はいかようにでもなりますから。ただそれでも還暦を過ぎたからには次世代の人たちには謙虚になり譲歩をしたいと思います。老害にはなりたくありません。魅力的なままではいたいですから。
今年も当院は大発展をします。私もまだまだ大成長をします。これからはもっと大展開、大転換となると思います。後半の住職人生であり自分の中では67歳かなと思います。それまでにはすべてをやり終えます。これまで寺院が関わる業務、たとえばお葬式、霊園事業、お坊さん紹介(派遣)、仏具販売、等々。私はすべてに挑戦してきました。そしてやはりこれらは寺院が取り仕切るに越したことはないという結論には達しております。当院に依頼すれば祭壇には常時、生花や果物、お菓子は供えられていてそれをそのまま使えます。儲け主義ではないのですぐにでも火葬を予約して葬儀を執行できます。お寺にあるものでほとんど足りるため購入が要りません。親戚のことをするつもりで寄り添って行えます。騙し取ろうなどとまったく微塵も思いません。僧侶が霊柩車の運転もするため拝み、火葬場案内と兼任できます。一石二鳥、三鳥となります。それも金儲けではなくあくまでも奉仕の気持ちで三方よしを原則に良心的に行えます。
今や供養産業界は完全に頭打ちです。そして信頼が揺らぎ切っております。壊滅的状況になりつつあります。昔から葬儀屋さんとか石屋さんとかどうなのという感じはしてました。何となく胡散臭い商売として世間からは見られています。そのため今の人は葬式、法事。お墓も仏壇もいらないという人が増えております。地縁も血縁も社縁もなくなっているので仕方ありませんが。個人主義というのは私も好きですが新たな方策は必要かと思います。今年は新規事業案もありますので練っていく時かと思います。私は失ったその信頼を取り戻すために全身全霊でやってきました。そのために心から信頼できる事業者に絞ってお付き合いをしてきました。これは本当によかったです。素晴らしい石屋さんや葬儀屋さんと出会えて本当に幸せです。私がお付き合いをしたいと思えるお坊さん、葬儀屋さん、石屋さんはせいぜい1、2パーセントかと。中にはまともな人もいるものです。よき事業者と組んで仕事をしないと人間が腐ります。邪な性格に犯されます。世間の批判とかに屈しないことです。これができる人はまずいないと思いますがこれができないと寺院改革は絶対にできません。ただ抵抗勢力は結局は朽ちて奈落の底に撃ち落とされていくものなので何も心配するようなことはありません。
人生はとても短くつまらない人たちとうつつを抜かしていたらあっという間に終わります。ただ後悔が残るだけです。ほとんどの人は盲目と無知の中でその生涯を閉じることになります。少なくとも僧侶は悟りに生きる輩です。時代に翻弄されて無明のままに終わるのはもったいないです。もう少し目を覚ましてやるべきことをしましょう。寺院主導でできるだけやるべきです。そして檀信徒を幸せにしてその人たちのためになることをすることです。それがわからなかったのが〇〇でした。地元近隣〇〇○は却って面倒くさいため少数派にしないといけません。それが意外と肝です。横槍を入れられないようにしておかないと運営は難航します。当院がこうして先頭を走り続け飛ぶ鳥落とす勢いを継続できているのは手の届かないところを飛行できているからです。これが成功の秘訣です。今後は更なる格差によって歴然としてくるはずです。大きな再編の波が到来します。そこで勝敗が決定的なものになります。これが見ものになります。劇的に変わるのはこれからです。雪崩は起きます。
私は長く飼い殺しにされていました。その経験が生きる時は必ず来ると思っています。挽回の時が。年々歳々と歯車は合ってきていて絶妙な運気を感じております。焦らずにしっかりと基盤をつくり着々と進めていけば大きく化けると踏んでいます。何事も一歩一歩と確実にが大事です。確かな歩みの中でそれを噛み締めながら万里の道を突き進んでいきます。これからは寺院社会を越えてもっと実社会とリンクして一大産業へと成長させていけたらと目論んでおります。そして巨大グループをつくっていけたらと思います。総帥となって陣頭指揮が取れるよう知力、体力、能力をキレッキレッにしていきます。是非とも牽引をして後世に名を残せるようにはしたいものです。どうか今年もご期待ください。さらに若返ったところをお見せしてみせます。それではご機嫌よう。合掌
令和7年1月1日
見性院住職