タイミー、二日目と見性院と私
今朝も気合いの入ったタイミーワーカーが颯爽と登場。手際よく坦々とテンポよく作業をこなしてくれました。マラソンランナーということで動きも軽快、人柄、人当たりと今のところ申し分はありません。とにかく仕事が早い。なんでも小慣れた手つきと仕事捌きは圧巻でした。今週もしもこれだけの人材が矢継ぎ早に来られるのなら全日全時間帯で働いていただき当面ある課題のすべてを今月中に終えたいと考えております。優秀な人材も見つかりそうです。私個人的にも還暦まであと残すところ半年間のため身辺整理を徹底させたいと思案中です。モノはすべて収納させて部屋も心中もスッキリさせたいと思っております。収納かごや整理ダンスを購入して今は徹底的に整理整頓と断捨離に励んでおります。人間関係もずっと整理し続けておりますのでイライラもほとんどありません。朝のお勤めの坐禅瞑想はとても快適で居心地がよく毎日毎日がたまらなく楽しいです。余計なことを省いていくのが禅かと思います。
かのスティーブ・ジョブズも禅的発想で人生も仕事も生活もしていたと言われております。仕事以外のことで煩わされないように服装も決めていたそうです。本能の赴くままに生きられるように雑音を排除して研ぎ澄まされた心理状態をつくり出すための工夫をしていたようです。大谷翔平も飲み会には一切行かずゴミ拾いなどの善行を心がけて自らの生活を乱されないための工夫をしていたと言われております。大事をなすにはこれしかないのかもしれません。私たち凡人は無駄なことばかり日々しており人間関係に振り回されて意味のない人生を闇雲に送っているだけなのかもしれません。最近、日本はドイツにGDPも抜かれてその生き方、働き方の見直しを迫られております。ドイツ人は(ヨーロッパのほとんども)三週間の夏休みを取っております。休むために働いている欧米人と働くために休んでいる日本人。だけれども日本人の生産性は世界でも問題になっております。結果がまったくと言ってよいほど出ておりません。それだけ無駄が多く要領が悪い証拠です。人に気を遣っている時間が長過ぎます。周囲に遠慮をして悩んでばかりなので捗らないのです。ドイツ人は周囲に気を遣わず定時の15分前には片付けを始めて即帰宅をするそうです。出社をしてすぐにティータイムなんだそうです。日本社会では考えられません。もっと優雅に生きて余裕を持ちたいものです。
日本人同士はよく罵り合っております。つまらない争いが多すぎるためにそっちに時間を取られている人が多過ぎです。肝心のことが出来ておりません。そう言う私も反省すること頻りです。何も年金暮らしの老人暇人に時間を割くことはありません。終わった人として処理しておけばよいと思います。当院にも面倒臭い檀信徒が来ては時間を割かれ経営者として私はいつも甚だ迷惑をしております。いつも手ぶらで横柄なのには呆れております。遠慮もなく我が物顔です。こうした日本人の悪習から何とかしないといけません。人には迷惑をかけないでただひとりで生きろと言ったのが釈迦です。タイミーワーカーから私はそれを感じます。ひとりで誰も頼らずに生きている姿はカッコいいと思います。これからはジョブ型雇用と言われております。人を頼らずに自分の力で生きていくべきです。先日亡くなった森永卓郎氏は友達と言える友達はつくらなかったそうです。親友がいるとお互いに干渉したり相手の時間を取ることになるからだそうです。仕事にも支障をきたし迷惑をかけることになると言っておりました。まったくもって共鳴します。人は所詮、ひとりです。ひとりで生まれてひとりで死にます。孤独に慣れることです。森永氏はそうした達観した人生観を持ち合わせていたために最後の最後まで生涯現役を貫きました。見事な最後だったようです。立派です。見習いたいものです。今は人付き合いなどしなくても情報は入るしどうにでも生きていけるとても便利な世の中です。タイミーのようにスマホ操作一つですぐに駆けつけてくれる人がいます。テキパキと仕事をこなし後腐れなく帰宅をしてくれます。こういう世の中こそ私は理想です。そして仕事は気の合う人とだけするべきです。つまらない人と人生をともにすることはもったいないです。
私は見性院の家風に合う人がどうかで判断します。そして私と気の合わない人には辞めてもらっています。これが私の到達した経営術の最たる手法です。結局は方向性の違う人とは絶対に人生をともにしてはならないと言うのが私の原理原則です。最近、私は政教分離の原則はあるものの一家言を敢えて申し上げたいと思います。それは一票の格差をつくれ、ということです。高額納税者や次世代の人たちに票を多く分配させよ、ということです。政治は税金です。未来は若い人たちのものです。その人たちを優遇していかない限り政治は変わりません。老害政治家はいなくなりません。点数制にして一点から十点まであってよいと思います。上限下限は必要です。その方がむしろ平等のように私には思えます。若者の政治参加の方がむしろ価値はあります。政治革命になりますがやってもらいたいものです。世の中を変えていけるのは若いエネルギーを置いて他にはありません。スタートアップ(ベンチャー)はみな若者たちです。高齢者がすべてを潰してしまいます。私も散々と高齢者に弓を引かれてきました。今の宗門に次世代が育たないのは長老社会だからです。そして世襲による形骸化と世俗化です。これを打ち壊さない限り未来はありません。課金の多額で有能な僧侶がもしもいたなら優遇してあげることも一案です。その人に私利私欲がないことが条件にはなりますが。それでは続きはまた。合掌。
令和七年二月五日 見性院住職