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窮地の時のエース投入

人事の刷新により財務が健全化しました。生産性の向上、事務処理の円滑化、職員間の雰囲気といい今は最高の体制にはなっているようです。一般墓も樹木葬墓地も売れ行きは好調です。本堂葬儀も法事もかなり増えました。

当院には嘱託職員としてひとりファッションモデルにもなれるような学生ビジネスマンがいます。実際に代議士の秘書やブレーンもこなしております。この4日間は当院に滞在してもらいテコ入れ、Z世代の人たちの尻拭いなど。また葬儀や法事が引っ切りなしのためお手伝いをしてもらいました。YouTubeの全面的手直しや再編集もしてくれています。朝5時から起床してもらい鐘打ち、読経、坐禅瞑想、掃除やゴミ捨て、精進料理の補佐をしてもらいました。優秀な人は違います。これまでの人は瞑想中はスマホいじり、読経も鐘打ちも何もかも身が入っていたことはありません。魂が抜け落ちていて腑抜け状態にある人は困ります。それでいて給料にして欲しいという人も。それができなければ労働基準監督署に訴えるという人もいました。とても面倒は見られません。この4月からの人は三、四か月しか持ちませんでした。中には葬儀社の子弟であることをやめるまで隠していて偵察のような人もいました。動機が不純というか何か影があったので不思議には思っていました。当院の職員を引き抜いていったのではないかという嫌疑まであります。事実、その人は三年も住み込んでいながら行き先は何も誰にも言わずに去っていきました。彼の友人たちに尋ねても固く口を閉ざしている始末です。衣食住をすべて面倒を見てもらって免許も取らせてもらっています。学校にも通わせてもらっていました。やはりお寺で住み込みで働く以上は今後は修行目的や志のある人にしないといけません。ただいるだけでは何の意味もありません。まったく成長はしなかったと思います。

これから葬儀はしなくなるしお墓も造らなくなります。仏壇も家に置かなくなります。お坊さんもお寺も必要なくなっていきます。お寺同志は潰し合いになることでしょう。もう持ちません。もたれ合ってただ傷を舐め合って生きてきただけの世界ですから世間からは取り残されるのみです。生成AIがやってくれます。大リストラ、大失業時代の到来です。今、寺院は何処でも衰退の一途です。本山本部が傾いているために末寺に皺寄せが来ております。人々の心もモノとしても寺院は求められてはいません。家業としての寺院運営、家庭仏教は崩壊に向かっております。すでに崩壊している家庭も少なくありません。寺院を取り巻く環境はとても厳しく希少な需要の取り合いです。それも業者が介入して利益を漁夫の利として奪い取っていく場合もあります。組織の改変が必須でありながら誰も手をつけられません。怯えているだけです。翻弄されているだけです。本山や本部の運営もおそらくは業者に騙されて立ち行かなくなると思います。丸投げや委託で何とかなるほど甘くありません。当院はすべて自前です。企画運営から構想、設営まですべて自分たちで行なっております。ほとんど私の頭の中で考えてやっているだけでコンサルタントはいません。投資会社やブレーンもいません。今後は大寺院や大宗派などには中国系ファンドとかが忍び寄ってくるようにも思えてなりません。すでに自力では運営できないところに来ておりますので早晩、何らかの決断を迫られます。私は全国の寺町も見学しましたがいずれも共倒れの状態でした。

私は10年前に斯界から退路を断ちました。大正解でした。寺院行事や組織運営はまったくもってつまらないし何の社会貢献性もなかったです。法要法務も退屈です。法話講話もありきたりで何の興味も惹きません。そのために私は今は義理で出ないといけないお付き合いがなくなって心から喜んでおります。受戒会とか報恩講とかも廃れていくだけです。今の人たちには関心はありません。先日も大寺院の本葬に出席した友人から何も面白いことはなく導師たちの法話もつまらなかったと言っておりました。そのため私は葬儀や法事に出るのは好きではありません。それに費やすくらいなら他のことがしたいです。何の感動もありません。私ならもっともっと上手にやってみせます。人を魅了することはできます。最近は僧侶派遣会社も下火と仄聞します。際立って質の低下が問題視されているようです。片手間に僧侶になったインチキ僧侶がやっているだけですから依頼する意味はないと思います。ただ菩提寺に頼むよりはましと言って依頼もしているようですがそのために共倒れになります。あのお布施の額では寺院は完全に潰れます。宗門は大崩壊をして一部の寺院に収斂してきます。不動産寺院の単立化は顕著になってくるはずです。大本山や宗派本部の処遇が大問題になります。宗派の象徴であり権威だったものがお荷物になるのです。葬儀や法事をまたやってくれるような時代は来ません。そのために本堂や客殿を今から建設しても徒労に終わります。時代が違います。当院は本堂葬儀で成功してますが既存の本堂と客殿をリニューアルして使用しているだけです。本堂葬儀も二十年前からやっております。そのために実績があります。知名度もあります。新規顧客が常にあります。そうでなかったらうまくはいきません。これからやるお寺様は時代錯誤です。もうすでに機遅しです。これからでは成功しないはずです。ましてや僻地では絶対的に無理です。「月刊住職」が法事のすすめや本堂葬儀の記事をいくら書いても何の意味もありません。元に戻ることはありません。それよりも加速度的にやらなくなります。すでにこの二、三十年の間に法事の件数も激減の一途です。これも一部の寺院のみが繁栄するかたちにはなります。しかしながら次の施策を講じながらでないと早晩、行き詰まります。本当はこのままいったら壊滅的崩壊になるのでこの辺ですべてのことを辞めて原点回帰をしましょう、と誰かが言わなくてはいけないのです。それができないのは一部の既得権益者がいること。それと先がない長老たちのメンツです。自分たちは逃げ切りたいのです。責任を負わされたくはないのです。いいおじいちゃんだったで終わりたいのです。それだけです。次世代には未来はありません。檀信徒にも責任はあります。変化を嫌うこと。頭の硬い保守層が多く自分のことしか考えられない人ばかりです。時代の変化についていけないのです。今後は政府は選択的夫婦別姓問題に本格的に突入していく時期に来ました。今総裁選でも争点の一つになってきております。これが国会で通れば家制度は一気に崩壊して寺院運営は大打撃を受けることになります。檀家制はますます崩壊します。寺院経済は壊滅的損害を被ることになるはずです。当院ではその流れを先読みしているためにすでにその準備を十数年前からしてきているので絶好の機会が訪れます。当院に人々は傾(なだ)れ込んできます。追いつかなくなる前に先に行かせてもらいます。してやったりとなることでしょう。

当該専門学校の人は就職しても半年足らずで全員が辞めてしまうそうです。一説には。学科主任の教員もノイローゼのようです。これまで4人を採用しましたがそのうちの二人は交通事故を起こして辞めました。残りの人はだらけ切って辞めていきました。なかなか使いものになる人はいません。いずれはわかる時が来るでしょう。何の努力もしない人たちは葬り去られていくのみです。恩師の先生が気の毒です。彼らは勉強も努力もせずただ遊んでいるだけです。先生は休まず働いています。大損失ばかりです。先のファッションモデルのような優秀なT氏のような人はなかなかいません。いかにも葬儀屋さんという人では当院には似つかわしくありません。覇気がなく目が死んでいる人でも困ります。もっと爽やかで機転の効く好青年が欲しいです。あるいは清楚な品と知性のある女性に巡り合いたいです。結局は人ですべてが決まってしまいます。私も早く都会の一等地で新たな仕事がしたいです。そんなまだまだ夢を見ている私でした。真夏の夜の夢に終わらせないために今晩も勉強は続けます。愚痴に付き合っていただきありがとうございました。合掌。

令和6年9月2日 見性院住職

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